
ギター弦のデモ動画を見ていたはずが、いつの間にか「これは人が作った音楽なのか」という話になっていました。
発端は、ギター弦メーカーのD’Addarioが公開した新製品のプロモーション動画です。動画に使われた曲をめぐって、海外の視聴者から「生成AIで作られたのではないか」という声が上がりました。
D’Addarioは生成AIの使用を否定しています。すべてのギターは実際に録音し、ドラムとシンセサイザーはMIDIで打ち込み、多数のプラグインと制作処理を加えたものだと説明しました。
現時点で、生成AIが使われたと確認されたわけではありません。
それでも疑いは収まらず、メーカーが説明のために出した動画にまで新たな疑問が向けられています。
なぜ、弦を紹介する一本の動画がここまで大きな話になったのでしょうか。
なお、この記事は2026年7月29日時点の公開情報をもとにしています。対象の弦を使用したレビューではありません。
はじまりは、多弦ギター用の新しい弦でした
D’Addarioが発表したのは、7弦、8弦、9弦ギターなどに向けた「NYXL HD」という高密度設計の単弦です。
多弦ギターで低いチューニングを使う場合、太い弦が必要になります。しかし、既存の弦やベース弦を流用すると、張り、音程、音の明瞭さのバランスを取りにくいことがあります。
NYXL HDは、そうした低音側の問題に対応するために開発されました。製品そのものは、かなり明確な課題を解決しようとしています。
ところが、公開されたデモは、弦を一本ずつ聴き比べるような内容ではありませんでした。
激しく歪んだギターに、ドラムやシンセサイザーを重ねた、完成度の高いプログレッシブメタルの楽曲です。映像も音も、製品の確認用というより、一本の作品に近い仕上がりでした。
その音を聴いた一部の視聴者が、生成AIによる音楽ではないかと疑い始めます。
D’Addarioは生成AIの使用を否定した
疑いが広がるなか、D’AddarioはGuitar Worldに対して、動画の音楽に生成AIは使っていないと回答しました。
同社の説明では、ギターはすべて人が実際に演奏して録音したもの。ドラムとシンセサイザーはMIDIで制作し、そこへ多くのプラグインとプロダクション処理を加えています。
同時に、D’Addarioは、製品を完全に仕上げたミックスの中で紹介した判断が裏目に出たことも認めています。そして、ミックスされた音と加工の少ない音を比較できる形で、あらためて撮影するとしています。
一方で、SNS上ではAI関連のコメントが削除され、一部のアカウントがブロックされたことも批判を招きました。
これについてD’Addarioは、動画に関わった従業員個人のアカウントにまで攻撃的なメッセージが届いたため、従業員を守る必要があったと説明しています。
企業への批判と、個人への攻撃は同じではありません。この点は分けて見る必要があります。
説明動画にも「元の演奏と違う」という指摘
D’Addarioはその後、複数のギタートラックが並ぶ制作画面と演奏の様子を収めた動画を公開しました。
しかし、この説明動画を検証したYouTuberのDanny SapkoとKDHは、最初のデモと説明動画を重ねると、演奏のタイミングやフレーズに一致しない部分があると指摘しました。二つの音源を並べると、時間とともに同期がずれていくという主張も出ています。
そこから、「説明動画で示された演奏は、最初のデモに使われたものと同じではないのではないか」という新しい疑いが生まれました。
ただし、これも生成AIが使われたことの証明ではありません。
公開情報だけでは、不一致が生じた理由までは特定できません。外部から確認できるのは、元動画と説明動画が同じに見えないという指摘が出ているところまでです。
D’Addarioは追加の疑いに対し、新たな説明はせず、最初の声明を維持しています。
AIを使う側から、気になったこと
私自身、文章や画像の制作で生成AIを使っています。
だから、この出来事を「AIを使った企業」と「それを見破った人たち」という構図では書きたくありません。
あの動画は、何のための動画だったのでしょうか。
音楽作品として見るなら、MIDIもプラグインも細かな編集も、完成形を作るための手段です。生成AIを制作工程に使う場合も、どこまでを許容するかは作者や発表の場によって変わります。しかし、製品デモには別の役割があります。
その製品を使うと何が変わるのか。それを、まだ製品に触れていない人が確かめるためのものです。
作品は完成形を見せ、デモは違いを残す
ギター弦の音は、弦だけで決まりません。
ギター本体、ピックアップ、ピッキング、アンプ、キャビネット、マイク、イコライザー、コンプレッサー。歪みを深くし、複数のトラックを重ねれば、さらに多くの要素が音へ入ってきます。
それが悪いわけではありません。実際の楽曲の中で弦がどう聞こえるかを示すには、完成したミックスも必要です。
ただ、完成した音だけでは、その低音の明瞭さが新しい弦によるものなのか、演奏やアンプ設定やミックスによるものなのかを、聴き手が分けて判断できません。
加工を減らした単音。従来品との同条件での比較。使用したギターやチューニング、アンプ設定。同じ演奏を通したミックス前とミックス後。
そうした痕跡が残っていれば、聴き手はメーカーの説明を信じるだけでなく、自分の耳で確かめられます。
D’Addarioが再撮影するとした比較動画は、本来それを担うものになるはずです。
AI時代に増えたのは、疑う力だけではない
生成AIによる音楽の精度が上がり、私たちは以前より簡単に「これはAIではないか」と疑うようになりました。
しかし、AIらしく聞こえることと、AIで作られたことは同じではありません。人が細かく編集した音楽が不自然に聞こえることもあれば、生成AIの出力が自然に聞こえることもあります。耳で感じた違和感は、調べ始める理由にはなっても、それだけで判決にはなりません。
必要なのは、疑いを強くすることより、判断できる材料を増やすことだと思います。
制作工程をすべて公開しなければならない、という話ではありません。
ただし、製品の性能や違いを伝える場面では、完成した結果と、そこへ至る途中の音を少しだけ並べる。加工した音と、加工する前の音を両方残す。
そのわずかな余白が、作り手と受け手の間にある信頼を支えるのかもしれません。
弦の話へ戻れるデモを待ちたい
今回の騒動では、弦よりも、動画が人間によって作られたのかどうかが話題になりました。
新しい弦が解決しようとしていた低音の張りや明瞭さは、すっかり議論の奥へ引っ込んでいます。
生成AIが使われたのか。それとも、人の演奏を強く加工した結果、そう聞こえただけなのか。2026年7月29日時点の公開情報だけでは断定できません。
それでも、この出来事から見えるものはあります。
製品デモで大切なのは、完璧に聞こえることだけではない。聴いた人が、何によって音が変わったのかを遡れることです。
AIを使うか使わないかより、その違いを判断するための痕跡を、どこに残すのか。
次に公開される動画では、AIの話ではなく、ようやく弦の話ができることを期待しています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、Love Guitar!


コメント